元二次オタ潤担の戯れ言

元二次・声オタの人が嵐を好きになったという備忘録

アイドルはみんな天性の才能を与えられていると思うんだが

※こちら潤担の書くアレコレとなっております


8Jを見返していて心底思ったことがあったので、書き留めておこうと思った次第。
(書こう書こうと思っているエントリーは一向に私の事情が終息しない)

8Jと言いつつ嵐のことしか書いてないですし多分歴々の嵐ファンには百も承知のようなものなのでご了承ください。
あと多分担当の人から言わせたら違うけど!的な解釈違い(人間に解釈もくそもあるかという話だけど)もあると思うので、そういう方はぜひ自分で書いて読ませてください!!!



さて、8Jの最後にあった翔さんの感謝の言葉のあたりは本当に色々思うことが見た人みんなにあったんじゃないかなぁと思ったのですが、私もまさにそれで、あのエピソードで櫻井翔は「自己プロデュース」という点において秀でた天性の才能があったんだなと思いました。
きっとそれは後々キャスターという道を切り開くことになることに繋がっていると思うんですが、最初からそのセンスはあったんですよね。
一時期へたれポジションみたいなところを担っていたのもどちらかというとイケイケ感が強かったところからガラリと隙を見せる形になることで、そのギャップとか母性をくすぐるような部分でまた人を惹き付ける強さがある。そこを選びとるセンス。(当時の嵐内キャラクターのバランスということもあるだろうけど)
地頭の良さとか翔くんの生きてきた環境がそうさせたのかもしれないですが、それだって天性のものです。それにそのセンスを活かす「ここだ!」という場所を見つける嗅覚の鋭さが今の"櫻井翔"という信頼のブランドを築き上げたのだと思いました。

話は反れますが、二次元とかの創作されたいわゆる想像する"アイドル"と嵐って結構離れてるなと思うんですよ。そのアイドルというものに嵐の中で一番遠いのが翔くんじゃないかなぁと思っていて、だからこそ嵐は大きな幅が出来てるんじゃなかろうかと、私はなんとなく勝手に思ってます。
ラップとかコーレスとかってつまりそういうことなんじゃないかと。


閑話休題
自己プロデュースの能力という点において外せないのが二宮くんだと思ってます。この二人はそこがずば抜けている。自己プロデュースに必要なものとして客観性というものは必要不可欠だと思うのですが、客観的にみる能力のみでいうなら嵐で一番秀でてるのはニノですよね。圧倒的に俯瞰でものをみるタイプ。

8Jのときの話をしたときに、あの頃は一言二言話すのが「精一杯」というふうに言ってたのがなんとなく印象に残ってて、それは喋らなかったわけじゃなくて喋れなかったってことなのかなぁと。
でもそういうちょっと独特な不思議キャラで良かった、そのまま脱力感あるキャラで良かったってことはきっと理解してたんじゃないかと思うんですよね。それこそ関西勢だとかはガンガン喋ってたみたいですし、そこにキャラを被せていく必要もないと思っていたから自分なりの精一杯を維持していたんだと思います。
それがそのままではいけないなと嵐になったときに客観的にみた結果、今5人の中で翔くんと共に比較的前に出て喋る役割を担っているんじゃないでしょうか。
それに基本的には翔くんが多いですけど、MC二本立てという形でニノも回しが出来るのって大きいですよね。しかも翔くんとは全然違う色がある。
自身とグループを俯瞰でみて「ここに自分を置くことが最善だ」というところに至る力は生来のものがあるんじゃないかと思いました。


そしてあと3人なんですが、私は大野さんとモデルズというふうに分けられると思ってます。
というよりは大野さんが圧倒的に特殊なんだと思いますがw

リーダーは天性の才能があるとしたら「みる力」と「実現する器用さ」なのかなーと。自分がやりたいと思うことを叶えられるだけの才能ですよね。芸術性にはどれだけ努力しても得られない「センス」というものが私は存在していると個人的に思っているタイプなので、大野さんはそのセンスが圧倒的にあるんじゃないかと思ってます。

何の仕事してるのかはサッパリわからないけど定期的ににそこそこの収入を得ているようだ……みたいなメインどころの横でめちゃくちゃ人気でる謎のキャラクターみたいな雰囲気ですよね。あまり前に出たがらない嵐の5人の中でもさらに前に出たがらないところがそうさせてるのかもしれません。

結局なにが言いたいかというと、大野さんは嵐の中でもというかアイドルの中でもかなり特殊枠な天才だなっていうことです。アイドルでなくても特殊な道で突き進んでいけた人。

また話反れちゃうけど、大野さんが10周年あたりで辞めようかと思ったときに何があってこのまま嵐としての道を進もうと思ったのかわかりません。でもきっとそれは周りの4人が彼らだったからということは一因ではあると思うんですよね。その才能を4人に捧げてもいいと思ったから今があるんだろうなと思ってます。
実は嵐を好きになって暫くしてからの辺りで不安はあったんですよね、私に。10周年あたりから15周年のタイミングではあんなふうになっていたので、20周年のタイミングだと今度はまた何か変わるものもあると思うから近年の大野さんはどうなんだろう?と考えていたときに雑誌ラッシュで(特にwithで)嵐への愛情ボコボコぶつけられて万歳三唱しました。




さて。ではモデルズの二人はなんなのか、というところなんですが、私としてはこの二人は「アイドル性」だと思っています。
他のメンバーにないわけではないです。何故なら他のメンバーもアイドルだから。でも潤くんと相葉くんはストレートに"アイドル"なんじゃないかなと。先天的に。どこにいてもその場のアイドルになれる二人なんじゃないかと思ってます。
外見的可愛さはおいておいたときに、タッキーからみて潤くんは「普通の子どもだった」と言われてました。8Jの場においてもヒロミさん発信のスーパーアイドル相葉ちゃんだったという形で、翔くんみたいな自己発信形ではなさそうでした。

二人は殊更真面目なタイプです。その真面目さというものは一般人にも備わっている人が多分いると思います。そう考えたときに二人をJr.のころからアイドルたらしめているものは何かと考えたらやっぱり"アイドル性"なんだと私は思いました。
そのアイドル性というもののタイプが全然違うから二人は似てるわけではないですが、才能をざっくりと種別したときに二人は同じラインじゃないかなと思っています。
そこからどう転がしたか、という部分が個人の思考と環境による変化の範疇であり、二人が今の二人であるという感じかなと。ジュレームCMのメイキング?で話していた目標設定の仕方の真逆なこと!
でもプラスの感情が真っ直ぐ表に出てくるという意味では似てるから"泣き虫"なんでしょうね。



もちろんこれは私が主観でなんとなく思っただけで、実際は人間そんな単純でもないです。
それに彼らに先天性の何かが備わっていたとしても、生かすも殺すもそのチャンスが巡ってくるかも含めてそれは彼ら次第です。

そして何よりそこに甘んじない「努力する」という概念がなければその才能に意味なんてなくて、きっと成人する前に自分でも気づかないまま失っていたはずですし、きっと今嵐はいなかった。

5人の努力を否定するためのものではなくて、でも何か人より秀でてるものがあったからアイドルはアイドルなんじゃないか、ということを8Jみて思ったんだよねって話でした。


こんなまとまりのない文章をここまで読んでくださったあなたに拍手!





これには関係ないけど、泣き虫ちゃんが15周年のその日に二人で泣いたことにはデビューに後ろ向きだった三人とは違う何かがあるんだろうなぁと思ってます。後ろ向きだった三人の気持ちを背負って、それでも先輩たちのようなキラキラしたステージに進みたかった潤くんと、訳のわからないままハワイに連れていかれ話したこともない先輩と同じグループになった相葉くんと。
そんな二人が根っこに同じものを持っていたとしたら。事実は小説より……っていうことなんですかね。